60年前の2つの出会いによって、今毎日を平安にすごしています。
名古屋のミッションスクール高校1年生の時、初めて教会に行き、中高科の真摯な女性教師にあこがれて通いはじめました。夏のキャンプでイエス・キリストを知り、神様がいるのはわかりましたが私の神様と信じるには至りませんでした。
その後その教師は西宮に開拓伝道へ、私は神戸に移り近くの教会に通いましたが、だんだん教会生活から離れてしまいました。
社会人になって様々なことにぶつかり、自分の醜さに悩み、神様のもとで安らぎたいと思いましたが、あの女性教師の牧会しておられる一麦西宮教会ではなく、別の教会に行っていました。
ある日の礼拝で「今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント人への手紙第二6:2)の言葉を頂き、その足でこの一麦西宮教会に帰りました。
1970年の大きな伝道集会で、十学架のイエス様に石を投げている私が示され、その私の罪を全部背負って十字架に死んで下さったことがわかり、イエス・キリストを私の救い主として信じ、赦され、洗礼を受け平安を得ました。
全ては愛と忍耐の神様の計画です。

「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。」 (詩篇23:6)

<I.J>