教会では毎週、礼拝の時に賛美の時間があります。2年ほど前から、私は賛美リードとして立てられるようになりました。昔から声も小さく、すぐに喉を枯らしてしまうし歌も決して上手くありません。カラオケも楽しめない人間です。けれども賛美することはいつも自分にとって大きな励ましでした。人の目を気にして、自分のマイナスな面ばかり見てしまって心が沈んでいる時、神様に対して祈れない時でも、賛美で心を神様に向けることができました。聖書のみことば、神様が語ってくださったことばを口ずさむ時、今もここに、神様が共におられることがわかります。世間では流行りの歌が出てきては過ぎ去っていきますが、賛美には流行りがありません(全くないこともないのですが…笑)。
とこしえに変わらない神様のみことばを、教会で子どもから高齢の方まですべての世代が一緒になって賛美できることは本当に素晴らしいことです。
賛美は神様をほめたたえるもの、神様にささげるもので、自己満足させるものではありません。けれども賛美することは私自身の喜びとなりました。賛美を選曲するとき、私ではなく神様の思いとしてこの曲が選ばれたと思うことがあります。神様の思い、みこころに心を向けた時、平安と慰め、希望があります。神様がこんな私でも用いてくださり、私を、教会に集う一人一人を、この教会を愛し憐んでくださっていることを見せてくださいました。ともにおられる神を知り、喜び、私自身そして教会がますます神様の愛に満たされ、賛美と祈りをもって応答していけるようにと願っています。

<S.H>