ずっと心は「少女パレアナ」が大好きだった頃のままのつもりでしたが、いつのまにか後期高齢者になりました。結婚した後もずっと頼り切っていた母が病に罹り、大海の中に笹舟で放り込まれたような心細さでした。当時小学5年生の息子が下校時に貰って来た案内に載っていた教会学校について行き、そこで「あなたがたを捨てて孤児にはしない」(ヨハネ14:18)という礼拝メッセージを聞き、イエス様に救われたい一心で洗礼を受けました。そのときは聖書でいう罪の意味も永遠のいのちの事もよく分かりませんでしたが、洗礼を受けた帰り道、いつもの風景がみな輝いて見え、それまで味わったことのない喜びが溢れてきました。
いつも共にいてくださるイエス様を知った私は、病床にある母にもこの喜びと平安を知ってもらいたいと父に隠れて精一杯の証しや礼拝のメッセージテープを聞いてもらい、5年後に母が救われ、その2年後に召されました。それから15年後、父は82歳のクリスマスに下條先生の個人伝道によって救われその場で洗礼を施して頂きました。父は召されるまでの晩年6年間を私たち家族と同居しましたが、夫も父に良くしてくれ、息子も介護の手助けをしてくれたことに今も感謝しています。
本当にいろいろありましたが、いつもイエス様はどんなときも励まし支えてくださいました。勿論今も、またこれからも課題が与えられると思いますが、年を重ねる毎に、魂の自由と解放を頂いて過ごす事ができる人生を心から感謝しています。
「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」
(コリント人への手紙第二4章16節)