僕は、クリスチャンホームに生まれ、子どもの頃から教会に通っていました。しかし、決して立派なクリスチャンだったわけではなく、なんとなく教会に通いながら、周りの人達があまりにもしっかりしていたので、毎回感心していたような者でした。
しかし今、その当たり前だった生活が、どれほど大切なことだったかを痛感しています。年を取るほど、無駄な知識も増えて行き、そのせいで様々なことが難しくなり、余計な年輪が自分に形成されていきます。その年輪の最下層には、間違いのない絶対的なものがあるという重要性に、子どもの頃は気が付きませんでした。
この世に存在する、目に見えるものから見えないものまで全てを創られたお方が、僕の根底に根を張っているおかげで、今こうして生きているという実感が、年を取るほどに増しています。
この、おそろしく強大なお方は、この広い世界で僕のことをご存知で、僕の声や思いに耳を傾け応えて下さいます。仮に声にならなかったとしても、その心の思いすら全てご存知です。
僕は、この方に祈らずには、到底この世の中を生きてはいけません。毎日激流に打たれ、ボコボコにされ続ければ心は疲弊し、あっという間に気力を失ってしまいます。その時、全てをご存じの方がいて、祈れることがどれだけ感謝なことでしょうか。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
ピリピ人への手紙4章6節
<S.D>
