私、80歳。今年3月、教会のお墓に主人の納骨をさせて頂きました。 主人は66歳の時、癌の宣告を受け10時間程の手術に臨むことになりました。そこで考えたそうです。家族は皆クリスチャンで天国行きの切符を持っているけれど自分は持っていない。万が一の事を考 えると、自分も家族と共に天国で永遠に生きていきたいと思ったそうです。そして、イエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受けました。それから77歳までの、この世の旅路を終え、今は天国でイエス様の用意してくださった主人専用の住まいで神様を賛美し憩っている事 と思います。私もいずれ、この世を去る日が来ることを思いますが、行き先が主人と同じ天国なので再会出来る事が楽しみです。その時が来るまで教会の礼拝や行事はもちろん、地域の《老人会》《いきいき体操》《晴れルヤカフェ》等に参加させて頂き、神様の守りと導きの中を喜び感謝しながら祈りつつ前進出来れば良いなあ~と思っています。
今、私が好きな新聖歌471「われ聞けり かなたには」の歌詞の一部を記します。
♪ われ聞けり「かしこ(天国)には争いも煩いも 明日の憂いもなし」と
われはまもなく着かん
「ハレルヤ」と歌いなば 悲しみも幸とならん
われは はや さ迷わじ 神共にいませば ♪
人間(私)を造られた神様は、目には見えませんけれど、いつも共にいてくださり助け導いてくださる、本当に優しい愛なるお方です。 感謝しつつ…