「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(聖書)
かつて、人間関係に悩み‘人とは何者?’その答えを探り求めていた私に一人のクリスチャンが聖書を伝えてくれました。聖書は何を語っているのか、殆ど知らない私でしたが、読み進めて行くうち、なぜかその言葉に心惹かれていきました。
「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は…被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(聖書)
この言葉が神さまの存在を教えてくれたような気がします。神さまがおられることを信じて、洗礼を受けました。約30年間の教会生活は、私にとって神を知り、自分を知り、人を知ることの訓練の時であったように思います。これからもそうです。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』」(聖書)
この言葉を深く教会で教えていただきます。真の愛を知らず、罪の闇路をさまよっていた者を神さまはその愛のゆえに、恵みによって救ってくださったのです。
教会はまた‘祈りの家’であります。かつて私の難病との闘いの時も、キリストのからだなる教会の牧師、信徒の篤い祈りによって、奇跡的と思える回復を得ました。
キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがある教会で、「…へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」と神さまは教えてくださいます。
<Y.K>