学生時代、不信仰で高慢な自分が人生の岐路に立った時、自ら神に祈り求めることなどありませんでした。しかし、十数年の学生生活の中で、神はそんな自分に寄り添い、僕を救いへと導いてくれました。
僕は高校を退学し、希望していなかった大学に入り、学歴コンプレックスを抱えた状態で逃げるように海外生活を選びました。海外では自分の弱さと向き合い、自らの努力によって変わろうとしましたが、結局変わることはできず挫折を経験しました。しかしその経験の中で、初めて弱い自分に真に絶望し、神に心を向けて祈るようになりました。そして心から神を求めるようになって初めて、決して変わることのできない自分の弱さを知り、その弱さも含めて全てを包み込んでくださる神の愛を知りました。自らの無力さを認め、空の器になることで初めてキリストの力が注がれる事を知り、それをただ憐れみによって、不信仰な自分にその弱さを通して教えてくれた事を知りました。
アメリカの哲学者フィリップ・キャリーがとあるインタビューで「福音は、私達が何をするかではなく、キリストが何をしてくださるかを教えてくれる。」と言っていました。当時の僕は、何も知らないただの迷える子羊で、自分の家がどこにあるかもわかりませんでした。しかしキリストはただその愛の故に、頑なで高慢な僕に必要な経験を与え、それを通して救いの道へと導いてくれたのです。それは僕の努力や運のおかげではなく、ただ神の憐れみによるものでした。その大きな力が今も僕を導いてくれていることに、心から感謝しています。 (S.Y)
