亡くなった父は長年アルコール依存症であった。飲酒に逃避する以外の手段を知らなかった父自身が一番苦しかったのかもしれない。しかし、私たち家族は度々その問題で振り回され、途方に暮れた。親戚に勧められて「藁にもすがる思い」で母と一緒に新興宗教に救いを求めたこともあったが、因果応報などの考えがどうしても自分の中で腑に落ちず、私が期待していたような希望は見出せなかった。
その後、高校時代にクリスチャンの友人と出会い、徐々にではあるが教会へ足を運ぶようになった。厳かな雰囲気に心が洗われるようだった。教会にいる人たちは皆なぜか生き生きとしていて明るく、何にも縛られていないような気がした。とはいえ、最初の頃はイエス・キリストが歴史上の人物ということさえ知らず、聖書の話や内容も全く理解できなかったため、礼拝中は居眠りばかりしていた。しかし、神は私のようなキリスト教とは全く無縁の環境で育った無知な者にも目に留めてくださった。そして周囲の人々を用いて救いへと導いてくださった。私は取るに足らない弱い人間だが、これからも神と共に歩んでいきたい。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(聖書)

(A.K)