牧師 鶴岡徹也
今年の1月1日、日本中が驚くようなことが起こりました。能登半島における大地震です。
私は7月26,27日にボランティア活動のために能登半島の珠洲市に行ってきました。実際に行ってみて気づいたことは、あの日から半年以上が経過した今でも、まだまだ復興は遅れていることでした。
珠洲市は海岸沿いの港町で、民家の前にはすぐ日本海が広がっていました。この町は、今回の地震と津波によって家が崩壊し、4メートルの浸水被害がありました。無惨にも、もう住めなくなった家々が並んでいました。現在はほとんどの方々が、親族のおられるほかの町に避難されておられるようです。住民にはほぼ会わない閑散とした町となっていました。私は壊れた家々や、家の中があの日のまま、時が止まっているかのような様子を見ながら、何とも言えない寂しさや悲しさを抱えてボランティア活動をしていました。
しかし、そのような町の風景の中に、国道を歩いている一人の少女を見つけました。彼女は小学校の低学年くらいで、ランドセルを背負い、プールのバッグを肩に担いで暑い中をてくてくと歩いていました。自分の娘と同い年くらいの少女の姿に、私は“希望”を感じました。何もかも失われたこの町の中にも、確かにこれから育っていく大切な命がある。将来がある。そして、自分もまた、神様から今日も生かされている命であることを覚えました。聖書にはこのような言葉があります。
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている ──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ書29章11節
私たちには、“どうしてこのようなことが起こるのか”と思うことがあるかもしれません。ですが、聖書の神様は私たちのことを愛してくださっているお方です。そして、私たちのために将来と希望を約束してくださるお方なのです。
私が、そしてあなたが、今生かされている、ということにも神様の深いご計画があります。平安を与えてくださる神様に、あなたの人生を委ねてみませんか。
ぜひ、日曜日は礼拝にお越しください。お待ちしています。