主任牧師 神戸博央
最近はNISAとかiDeCoとか、投資熱が上がってきているとマスコミなどでは報道されますが、皆さんの実感はいかがでしょうか。多くの人は、中学校や高校の社会の時間に資本主義とか社会主義という社会の仕組みを少しだけ習って、自由な経済活動や私有財産というような言葉を頭の中にインプットしたことはあるかと思います。ただ、経済の仕組みというのは、私たちの周りに普通にある事なのに今一説明できない、何か得体のしれないものであるかのように思う方も多いのではないでしょうか。この投資ブームを機会に少し学んでみようと思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。
私たちの日々の生活は何らかの仕事をしてその報酬を得る、すなわちお金を稼ぐような生き方をしている人が圧倒的に多いわけですが、その中で、やはり多くの富を得ることが出来れば、少し幸せ度は増していくと何となく感じているのではないでしょうか。そしてその得た富を上手に活かす資産運用ができれば尚良いと考えるわけです。
しかし、お金というのは不思議なもので、どれだけあっても困らないという一面もありつつ、それが沢山あっても色々な問題を抱え込むという側面もあります。
聖書の箴言という所に「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」という言葉があります。もちろん一番いいのは、ごちそうと平和に満ちた家なのですが、それがなかなかうまくいかない現実を言い当てた言葉なのです。
聖書を読んでいると、実はこの富と貧しさについての言及が非常に多いことに気が付きます。人の心をつかむのが富という事なのでしょう。もちろんそこには魅力がありますし、それ自体は中立的なものです。ただ、別の箴言の個所にこんな言葉もあります。

「忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。
 人を偏り見るのは良くない。人は一切れのパンで背く。
 貪欲な人は財産を得ようと焦り、欠乏が自分に来るのを知らない。」箴言28:20~22

私たちの多くは富の豊かさを知り、それを求めて生きていくという面があります。しかし、焦ってそれを得ようとすることには落とし穴があるので注意する必要がある事を聖書が教えているのです。
つい先日も私の携帯電話に知らない番号から電話があり、出てみると「株式の取引をして30%の利益を得る方法を無料でお知らせしますが、ご興味がありますか?」といきなり言われました。もちろんそんな話があれば興味はあるのは事実ですが、少しでも社会の仕組みを知り、人間という事を知っている人ならば、そういう電話には答えないものです。
また、最近はSNSなどで有名な人の写真を勝手に使って儲け話をちらつかせ、お金をだまし取ろうとする悪巧みも非常に多いと言われています。
そんなのに騙されるのは愚かな人だと客観的には誰もが思うものですが、案外自分たちも巧みに騙されてしまう弱さを持っています。ですから、聖書の神の言葉に耳を傾けることはとても大切な事だと思います。心の中に「足るを知る心」を教えてもらい、日々の生活を豊かに導いてくれる聖書の言葉から、まず自分を整えてみるというのは、落ち着いて豊かな生活を送るための秘訣であると思うのです。そして、整った心で投資の正しい意味を理解し、それを有効に用いるという視点であるならば、賢明な生き方を選び取ることもできるかと思います。まずは自分の内にある欲望に向き合うというステップが必要なのです。
最後にもう一つ聖書の言葉をご紹介しましょう。

「気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。」箴言11:24