牧師:古森薫

価値観の多様性が尊重されるようになり、社会全体は大きく変化しています。先人たちにとっては決して許されなかったことが、今は当然の権利として認められていることも少なくありません。
その一方で多様な価値観の衝突が顕在化しています。近年、起こっている社会の分断、長引いている紛争や戦争はこのことと無関係ではないと思います。つまりそれらは「自分は正しい」とする正義と正義のぶつかり合いでしょう。そして、この点で、人間というものは本質的に昔から全く変わっていないように思われます。結局、皆が「自分は正しい」と思って、自分の権利を主張し合っていたのでは、いつまでたっても人類に平和は実現しないのではないでしょうか。
二千年前の人間を語る聖書においてもそうです。聖書にはしばしば「自分は正しい」と確信しているパリサイ人が登場します。彼らは宗教指導者たちで、旧約聖書中の律法や、そこから派生した規律を守られない人たちを見下していました。イエス様はこのような彼らにたとえ話をされました。
「二人の人が神殿に祈りに来ました。一人はパリサイ人、もう一人は取税人です。パリサイ人は『私はこの取税人のようではなく、律法をしっかりと守り、正しい行いが出来ていることを感謝します。』と心の中で祈りました。かたや取税人は目を天に向けようとせず、自分の胸をたたいて『神様、罪人の私をあわれんでください。』と言いました。」
そしてイエス様はたとえ話をこのように結ばれました。

「あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人(取税人)です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」(聖書)

不正が満ちているこの世界で正しさを求め、真面目に生きることは尊い生き方です。ただそのことよって他者を見下したり責めたりするのであれば、すでに罪にすり替わっている可能性があります。
しかし自分の罪を認めて神のあわれみを乞うならば、神から義と認められるのです。その人は神から罪を赦された感謝と喜びに満たされて、決して他者を見下したり責めたりはしません。
今、一人ひとりが神の義を求めることこそ、最も優先されるべきではないでしょうか。