牧師 鶴岡徹也

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

“ナイトdeライト”という北海道を拠点に全国で活動されているロックバンドをご存知でしょうか。メンバーの全員がクリスチャンで、現代社会の中で疲れた人や傷ついた人たちに愛や希望を歌い続けています。そのロックバンドのドラムをされている田中満矢さんは牧師でもあるのですが、著書「いいんだよ、昨日までのこと全部」(いのちのことば社) のなかで、自分自身が愛せない人に向けて、次のようなアドバイスをされていました。
「僕は自分が大嫌いでした。がんばって愛してもらおう、がんばって認めてもらおうと必死で生きていました。オーバーヒートしたエンジンのようにすべてに疲れ果ててがんばれなくなった時期が来ました。でもそんな時期を通ったから、がんばれない自分さえも受け入れてくれる人がいることに気づけました。」
 このようにご自身の体験を話された上で、
「愛されるためにがんばる必要はない。愛されているからがんばれる。認められるために全力を注ぐ必要もない。すでに認められているから全力で生きられる。」
と書いておられました。
私たちは、普段、何とかして周りの人たちの期待に応えよう、認めてもらおうと頑張って生きている者ではないでしょうか。
しかし、それは裏を返せば、周りの人に嫌われたくない、受け入れてほしいという気持ちの表れなのでしょう。そのような生き方はオーバーヒートしたエンジンのように、いつか自分自身を苦しめるようになってしまいます。私もそのような経験があります。結局のところ、私たちは誰もが本当の愛を求めて生きている者なのです。
聖書を通して、神様はあなたに

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

と語りかけてくださっています。たとえ、周りの人の自分を見る目が厳しかったり、認めてくれないことがあったとしても、神様の目から見ればそのようなことは、どうってことないのです。なぜなら神様は “わたしの目には” と語って下さっているからです。神様の愛に背を向けて生きる私たちのために、神様は、大切なひとり子であるイエスキリストを十字架にかけて命を捧げるほどに、文字通り命がけで私たちを愛してくださったお方だからです。
これを読まれているあなたはいかがでしょうか。愛される “ために” がんばる人生から、愛されている “から” がんばれる生き方に変えられたいと思いませんか。
ぜひ一度、教会の礼拝にお越しください。お待ちしています。