牧師 坂口将人

8月になりました。暑さの厳しい中ですが、皆様 いかがお過ごしでしょうか。今年の夏はどのように過ごされますか。
以前、車を借りて北海道を旅行しました。夜、誰もいない山道の途中で、車を停めてライトを消しました。見上げるとそこには満天に輝く星!その美しさは今でも忘れることができません。彼方に輝く星々を通して果てしなく大きな宇宙、永遠に対する思いをはせました。

紀元前1000年ごろのイスラエルの王・ダビデは、星空を見上げこのように神をほめたたえました。
「あなたの指のわざである あなたの天
  あなたが整えられた月や星を見るに
  人とは何ものなのでしょう。
  あなたが心に留められるとは。
  人の子とはいったい何ものなのでしょう。
  あなたが顧みてくださるとは。」    (詩篇8篇3、4節)

彼は、天のすばらしさに目をとめ、そのはるか広大な天地を創造された神様のすばらしさを思いました。それだけではなく、その偉大な神様が私たち一人一人を心に留めてくださり、顧みてくださっている事を心から感謝しました。
この詩の中で、ダビデは「人とは何ものなのでしょうか?」と問いかけています。私達はいったいどんな存在なのでしょうか。人は長く生きても120年の寿命で死ぬ空しい存在なのでしょうか?
私は大学卒業の年、親しい人々の死-私よりも若い人々が事故、病気で死ぬ姿-を見て「人はなぜ生きるのか、人生の意味は何か?」と苦しみました。答えもなく悩んでいた時、私はキリスト教での告別式に参加しました。そこで何が語られたかははっきり覚えていません。しかし、その式の中にはキリストによる永遠のいのちの希望がありました。
人は何ものなのでしょうか。聖書は、人は神のかたちに造られた尊い存在だと語ります。そしてこの詩篇のように神が心にかけて見守ってくださる大切な存在でもあります。
人は神から離れて罪の中を歩むようになったため、必ず死ぬものとなりました。それでも神は人のことを心に留めキリストをこの世に送ってくださいました。キリストは私たちの罪のため十字架に死に、三日目によみがえられました。このキリストを救い主と信じ、心に迎え入れたものは、キリストと共に永遠に生きるものとなります。
神はそのひとり子であるキリストを与えるほど、私たちを顧み、愛してくださっています。
どうか皆様もこのお方を受け入れ、神様の愛の中、喜びの人生を歩んで頂けますよう心から願っております。