主任牧師:神戸博央

クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは今から2000年以上も前、イスラエルはベツレヘムで救い主イエス・キリストが生まれた日であり、そのことをお祝いする日と言われています。当時イスラエル地方を統治していたローマ帝国は、キリストが十字架につけられてから30年ほど経った時からクリスチャンを迫害していきますが、色々な地方に広まり、その信仰が草の根的に展開する中で、逆に313年にはミラノ勅令で公認し、何と392年には国教化されるに至りました。その間、多くのクリスチャンが迫害され殺されていきましたが、復活の命を信じていた彼らはそうした迫害にひるむことなく影響力を増していったと言われています。
国教化されたキリスト教は為政者の様々な意図と絡みながら進んで行く中で、暦なども制定され(1582年)、A.D.=アンノドミニ=主の年という言い方が確立していきました。ただ、その時の計算に少し狂いがあったらしく、今ではキリストの誕生はB.C.(=ビフォークライスト=キリスト以前)4年とも7年とも言われているという状況にはなっています。
いずれにしても、キリストの誕生を境にB.C.とA.D.という言い方がなされているというのは興味深いことだと思います。
それに倣ってか、日本でも皇紀2600年のお祝いを1940年、太平洋戦争が始まる前の年に祝ったと言われていますが、国をまとめる一つのストーリーとして用いられたという事が想像できます。
こうした歴史というものは、後代の人々に都合よく使われたりするという事もあるので、その本来の意味に立ち返るという事がいつも大切になるのですが、聖書の中のクリスマスストーリーは何を私たちに伝えようとしているのでしょうか。
聖書のお言葉を見ます。マタイの福音書1章18節~25節です。
イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

処女懐胎と言われるエピソードが確かに記されています。多くの人にとっておとぎ話のように思われる話ですが、婚約者のヨセフも最初はとんでもないことが起こってしまったし、彼女をさらし者にはしたくないから別れようと思っていたのです。しかし、主の使いの言葉を受け入れて彼はマリアを迎えました。
そして、この男の子が民を罪から救うようになるとお告げを受けたことも記されています。
ここから分かるクリスマスのストーリーは二つです。それは、罪の赦しのストーリーであり、神が私たちと共におられるという励ましのストーリーです。
「あなたの罪は赦され、神様はあなたと共にいてくださいます。」
これがクリスマスの本来の意味だと言えます。メリー・クリスマス!主の祝福を祈ります。