牧師 神戸博央
「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、
また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。」
ピリピ人への手紙2:13~16a
皆さんは、自分がピンチに陥った時にどんな気持ちになられるでしょうか。人が信じられなくなったり、落ち込んでしまったりという事も経験するかと思います。特に最近はネットでの誹謗中傷など、事実とは違う事を挙げられて攻撃されたりするという事も起こっています。匿名の書き込みなどでありもしないことを書かれて、苦しむというようなことを経験された方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。
冒頭の御言葉はキリスト教の伝道者であったパウロという人がピリピの教会に送った手紙からの引用なのですが、実は、彼はキリスト教の伝道をしたというだけで牢に閉じ込められていました。彼はその人生で何度か牢に繋がれています。と言うのも、彼が信じた生き方を人々に伝えたことが、人のねたみを引き起こしたり、人々の心の罪を暴いていく事になったりしていったからです。しかしそれは何か罪を犯したわけではありませんでした。
無実の罪でとらえられ不自由になるなんていうのは最悪な事です。しかしそんな最悪な状況になりながらも、外にいるピリピの教会の人々を思って励ましの言葉を送ったのです。
神様の御心が私たちの人生を導いているという確信を、牢の中で記し、すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさいと、一番不平を言いたくなる状況で記しています。更に自分は言いがかりの非難を受けながら、非難されるところのない純真な者となり、世の光として輝くようにと勧めています。
獄中書簡と呼ばれるパウロの手紙は4つありますが、どの手紙も外にいる信者への励ましとなっています。獄中で書かれたと意識しなければ、そんなこと忘れてしまうほどの内容ばかりです。特にこのピリピ人への手紙は「喜びの手紙」と呼ばれるほど、「主にあって喜びなさい。」という勧めに満ちています。人は現実の状況だけに左右されるのではなく、心に灯った光を覚える時に、実はその人が輝いた人生を送る事すらできるという大きな希望を私たちに教えてくれているのです。
その思いの原点は、神様が私たちを愛し、私たちの罪のために独り子イエス・キリストが十字架につけられることを許され、3日目によみがえらせてくださったという聖書の事実にあります。それほどの神様の愛というものがあるという事を知らされて、信じる時に、私たちの不条理に満ちた世界にも光が灯るという事なのです。神様は私たち一人一人がこの世界の中にあって輝くことを願ってくださっています。なぜと思うようなことが起こる時に、どうかこうした神様の言葉の励ましを思い出してください。また、教会に足を運んでみてください。皆さんの祝福をお祈りしています。