主任牧師:古森薫
敬老の日を迎える9月は、老いについて考えるよい機会です。
さて、聖書にはこのように記されています。
「白髪は栄えの冠、正しい歩みによってそれは得られる。」(箴言16:31)
神を信じて、神と共に歩む信仰者にとって、老いとは単に体が衰えることではなく、「栄えの冠」であるという、聖書ならではの視点です。
一方、最近は「アンチエイジング」という言葉をよく耳にします。老いは避けたいもの、できるだけ遠ざけたいものとして捉えられ、若さを保つことに価値が置かれています(かくいう私も白髪染めをしていますが…)。
また、家族の中で死や死後のことについて語ることも、まだまだタブー視されているのではないでしょうか。このように老いや病、死は、逃れたいもの、避けたいもの、人生の苦しみとしてだけ受け止められています。
しかし、神を信じ、神と共に生きる信仰者にとって、老いは忌むべきものではなく、神が共に歩んでくださった証しであり、今まで以上の神の祝福を受ける時なのです。
なぜそう言えるのでしょうか。イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架で死なれ、罪と死と悪の力を打ち破り、三日目によみがえられました。この復活は、肉体の老いや病、そして死さえも克服できる確かな証しなのです。そして、誰でもイエス様を救い主として信じる人には、永遠のいのちが与えられると約束されています。
確かに歳を重ねると、肉体は衰え、さまざまな病を抱えるようになります。そして、やがて全ての人は肉体の死を迎えます。しかし、体が衰え弱った時にこそ、永遠のいのちはその人の内から輝きを増し、死をも克服する希望の栄えの冠となるのです。私はこれまで、何人もの信仰者が病床で希望に輝きながら神を礼拝しておられるお姿を見せていただき、お見舞いに伺った私の方が、かえって大きな励ましを受けてきました。永遠のいのちを持つ者にとって、老いと死は単なる通過点であり、その先には朽ちることのない復活のからだが約束されているのです。
教会ではこの希望について、聖書から語られます。どうぞこの希望を、皆さんにも知っていただけますように。皆さんのお越しをお待ちしています。
