子供の頃から「目に見えないけれど、神様はおられるのよ。」と母に言われて育ちました。社会人になって会社の同僚から、昼休みの間にショートメッセージをする教会があると誘われ、その教会でメッセージを聞いて、とても清々しく感じ、自分のいる場所はここだと思いました。その教会に行き始め、退社後は母の通っていた教会に行き、一年後に洗礼を受けました。
子育てをする中で、自分の生まれ持った性格、考え方など自分の姿に気付かされました。どの様に子供と向き合ったら良いのか分からず、子供達の誕生をゆっくり喜び、育てるという心のゆとりが持てませんでした。子育てについて色々学びましたが、結局、自分の力でどうしようも出来ないことに気づきました。その思いを神に祈ると、子供は自分とは違う人格である事、ひとりひとり違った人間として命を与え、育ててくださる事を知らされました。そして子育てを通して、何がなくても子供に信仰さえあれば、生涯どの様な事に出会っても生きていけると思い、子供達にとって信仰継承が何よりも大切だと思うようになりました。
その後、主人の突然の死という出来事がありました。しかし不思議ですが、聖書と祈りを通して、少しずつ現実生活への対処を身につけ、悲しみだけでなく全てのことを感謝出来るようになりました。

“あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。” (イザヤ書30章21節)

K.Y