私は教会や聖書と無縁の環境で育ちました。高校1年の時、日本国際ギデオン協会の方々が高校に来られ、聖書を頂きました。初めて聖書を読んでみて、イエス様の品性と権威に感動しましたが、イエス様が十字架上で処刑されたのは全く不可解で、聖書は神話だと結論づけました。
大学3年の5月、母から「父が岡山大学病院に入院」と連絡があり、数日後に、活けるキリスト一麦西宮教会での伝道集会(1969年5月)のチラシを拾いました。初めて聖書を読んだ時の感動を思い起こし、何よりも「活けるキリスト」に切実な期待を持って、集会に出席しました。神のいのちが満ち躍動する集会で、衝撃的感動を覚えました。
以来、日曜礼拝に出席。メッセージや体験談をお聴きし、神と聖書について理解が着実に深まっていきました。ある日のメッセージ「私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」とイエス様に応答して、シモンが網をおろすと大漁となった。「お言葉ですから」が印象に残り、「神の全知全能」を認識しました。
11月19日夜、「父危篤、帰りなさい」と母から電話があり、直ちに国鉄三宮駅に向かいましたが、最終列車はすでに出発していました。待合室で一夜を明かすつもりが、夜半に駅舎が閉鎖し、寒さをしのぐため、駅周辺を歩き回りつつ、緊迫・焦燥・不安の中で、聖書のお言葉を握って、徹夜で祈りました。夜明け頃に「お言葉ですから」と、罪人である私の救い主としてイエス様を受け入れることを決断しました。12月21日受洗。親族で初のクリスチャンとなりました。

<S.D>