私達家族が西宮に住み始めたのは2人目の子どもがお腹にいる時だ。転勤族の娘である私は中学3年間を西宮で過ごしたが、それ以外にも南甲子園に住んでいた祖父母を訪ねて、しょっちゅう西宮には来ていた。小さい時は、阪神パークでレオポンを見たし、甲子園浜で広い海を見ながら祖父と沢ガニを捕まえた。中学の時は、浜甲子園の厚生年金プールで泳ぎ、マイケル・ジャクソンが西宮球場に来た時は学校で友達と大騒ぎした。大人になって、また西宮に住むようになり、西宮は私の「ホームタウン」になった。しかし同時に私は、西宮に愛着は感じても、執着はしない。それは、私が、神様を礼拝し、祈り、聖書を読み、学びを深め、神様を愛し、夫を愛し、子ども達や周りの人を愛する生活を送るのに、場所は関係ないからだ。聖書の「わたしとわたしの家は主に仕えます」(ヨシュア記24章15節)という言葉を、私は結婚してからずっと心に留めてきた。子ども達が独立しつつある今の私にとって「家」とは夫だ。神様は、私と夫がどこにいても、必ず共にいて、私達を愛し、赦し、恵みの中で生かしてくださる。根無し草のような子ども時代も、海外にいた青年期も、怒涛のような子育ての日々も、毎日の生活にはもちろん色々あったけれど、私の心の奥底には平安と希望があった。それは、神様に愛されている確信があったから。そして、神様が共に歩んでくださっていると知っていたからだ。これからも、「ホーム」(天国)に召されるその日まで、わたしとわたしの家は、神様に助けられながら、主に仕えていく。

(Y.D)