主任牧師 神戸博央
「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」
マタイの福音書5:14~16
新年おめでとうございます。2024年が明け、心新たに歩ませていただきたいと思います。
さて、冒頭の言葉は、キリストに従う者の生き様について語られているものです。良い行いの動機は、天におられる父、すなわち、神の栄光を求めて行うものであると励まされています。キリスト者の生き方は悪いこともしないけど、良いこともしないというような消極的なものではなく、積極的にこの世に関わり、貢献することを求められる生き方であるという事が言えると思います。
しかし、その動機は深く探られます。少し後の方にある言葉に
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。」
マタイの福音書6:1~2
とあるからです。
こちら(6章)では人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい、と書かれていて、人に良い行いを見てもらう事を励ます冒頭の言葉(5章)と矛盾するようにも見えます。なかなか難しいですね。こうした言葉の理解によって人の歩みも大きく変わる、そんな言葉です。
もちろん大意はつかめます。要するに人の評価だけを気にして良い行いをするのではなく、目に見えない神様の前に良い行いをすることの大切さが語られているのであって、結果として良い行いを見ていただくことそのものを否定することではないようです。また、罪を犯したくないからと言って何もしないというような消極的な生き方が奨励されているわけでもありません。
確かに、言うは易し、行うは難しとはまさにこの事で、私たちの動機がいつも整えられていくためには、静かに自分を見つめることも必要です。
しかし新しい年、まずは、聖書が私たちに大胆に良い行いをするように励ましてくれていることに注目したいと思います。神様は私たちに輝く人生を送ってほしいと願ってくださる方です。良い行いの正しい価値について理解しましょう。神様を信じる人生は、積極的に良い行いに満ちた人生となることです。そして、そのような輝く人生に導かれる事をお祈りしています。