牧師 鶴岡徹也
私たちはそれが大切なものであることを失ってはじめて気づかされるということがあります。
私は大学時代に大切な友人を亡くしたことがあります。彼は私と同じ学部にいた友人でした。ある日、彼が交通事故に遭い、集中治療室にいるという知らせを聞いたのです。早速、友人たちは授業の合間に折り紙で千羽鶴を折り始めました。早く良くなってほしいなと互いに話しながら折っていました。
しかし、その数日後、暗い顔をした友人から彼が亡くなったという知らせを聞きました。その知らせを聞いた時、私は目の前が一瞬真っ暗になったことを今でも覚えています。彼が亡くなることは全く自分の頭にはなかったからです。その帰り道、自転車をこぎながら涙が込み上げてきました。
友を失ってから彼との時間がどれほど大切であるかを教えられたのです。それと同時に、「死」という人生の最大にして最後の敵に誰もが直面するという重い事実を受け止めました。私たちにとって死は恐怖です。一体死んだ人はどうなってしまうのだろうか。どこに行ってしまうのだろうか。
私が幼い頃から聞いてきた聖書の中には次のような言葉があることを思い出しました。

“ あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。”
伝道者の書12章1節

聖書はあなたの人生のなるべく早い時に、あなたを造ってくださったあなたの創造者に出会いなさいと語ります。私たちは決して偶然に存在している者ではない。私たちに目的を持って造ってくださった創造者がおられるのです。そして、このお方は私たちのこの地上の人生だけではなく、死を越えた永遠の世界をも用意してくださったお方です。イエスキリストは言われました。

“ わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。
あなたは、このことを信じますか。”       ヨハネの福音書11章25,26節
 
これほど力のある言葉を語ることができるのはイエスキリストだけです。このお方は、私たちがいつ死んだとしても、私たちが永遠に神様のいのちに生きることができるように、私たちの罪を代わりに背負って十字架にかかって死んでくださったお方なのです。私は友人の死を通して、1人でも多くの方にこの良い知らせをお伝えしたいと願うようになりました。
今日、こうしてこれを読んでくださっているあなたが、この地上に生かされていることには神様の目的があります。ぜひ、この神様に出会う人生を歩み始めてみませんか。
一度、教会にお越しになってください。
あなたのお越しをお待ちしています。