牧師 古森薫
昨今、日本ではあまり起こったことのない類の凶悪な強盗殺人事件が多発しています。ある殺人事件では、短時間で高収入が得られるバイトに応募した実行犯が10代、20代の若い人たちでしたが、そのことに驚き、心を痛めている方も多いのではないでしょうか。一度、闇バイトに応募してしまうと、主犯格に個人情報を握られ、脅されるために、闇バイトから抜けられないということも明らかになりました。トカゲのしっぽ切りのように、主犯格に使い捨てされるため主犯格の逮捕は難しく、犯行は新たな実行犯によって続いていくというのです。この闇バイト、それはまさしく人の心の闇を巧妙に利用した手口と言えるでしょう。
心の闇とは、自分の悪は隠しきれると思い違いをし、自分の願いや欲望のままに考え、行動し、自分を正当化している心の状態です。心は闇の状態ですから、当然、罪に対して鈍感になり、自分が何をしているか分からず、五感だけが頼りになります。
しかしながら、強盗や殺人ではなくても、人間は程度の差はあれ、自分のさまざまな悪を人の目から、しかも無意識的に隠しているということがあるでしょう。さらに、それを人の目から隠すことができれば、刑罰を免れられると思っています。また同時に、この地上での命がすべてであって、漠然と死後の裁きは存在しないと思っているようです。
しかし、その行き着く先について、聖書はこのように警告しています。
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ人への手紙6章7節)
聖書の神は、人間の行動のみならず、心の中の、すべての悪しき思いを知っておられます。人は神に対して何かを隠したり、神をだましたりすることは出来ません。もちろん、逆に、神は人の目から隠れている良い行いもすべて知っておられます。ですから人は、悪い種を蒔けば、悪いものを刈り取り、良い種を蒔けば、良いものを刈り取ることになります。いわゆる因果応報です。それは、この地上のことだけを指して言っているのではありません。聖書はこのようにも言っています。
「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」(ヘブル人への手紙 4 章 13 節)
聖書は、天国とともに地獄も存在し、死後すべての人は神の裁きを受けることになると説き、それゆえ最終的な裁きを下す権威をもつ神を恐れるようにと命じます。この生き方は、人ではなく神を恐れる生き方、また神の前に「何も隠さない」生き方であり、そうすることで私たちは、地上生涯を平安に送れるだけでなく、天国に続く道を歩むこととなるのです。
神は皆さんをこの生き方に招いておられます。この続きについては、教会でお話ししたいと思います。