牧師 古森薫

新年 明けましておめでとうございます。旧年中はニューブリーズ誌をご愛読くださりありがとうございました。今年もよろしくお願い申しあげます。
さて、昨年秋、銀行に転居手続きに行った時のことです。担当の方から「年金は何歳から受け取られますか?」と尋ねられました。私は呑気な性格であり、また牧師になって10年しか経っていないこともあって、そんなことを問われる年齢になったのかと少しショックを受けました。確かにアラカン (アラウンド還暦) にもなると、ライフプラン、特に老後のお金の問題に取り組むべきで、そう問われるのは当然のことです。ではどうすればいいのか。「人生100年時代、とにかくせっせと蓄財せねばならないのか。どうすることが最善の策なのか?」誰もが老後に不安を持っているのではないでしょうか。
ところで聖書は、私たちの魂は永遠に存在し、肉体の死をもってすべてが終わるのではなく、その「後」があることをあらかじめ示しています。このことについては多くの教えがありますが、地上の富の用い方が死んだ後の生活と深く関係しているということも教えています。今の地上の生き方がとても大切で、それが永遠の世界にも繋がっているからです。
一例を挙げますと、次のようなことばがあります。

「わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。」(ルカの福音書16章9節)

「不正の富」とは聞き捨てならない言葉かもしれませんが、人間の目に不正と見えなくとも、神の前では、人間がこの地上で手にするお金というものは、それを得る手段や目的などいろいろな点で不正に関わっており、汚れているということでしょう。しかし、そうではあっても、そのお金は同時に神が人に管理を任せたもので、人がそれをどう管理するかが問われているのです。ここでイエス・キリストは、それを他者のために用い、そうして友をつくっておきなさい、そうすることによって、地上で生きている今から、天国の生活の準備をすることになりますよと教えています。この生き方には、この地上の命ではなく天での永遠の命にこそ絶大な価値があるとの前提があります。
地上での富、それは全て消えてなくなってしまいます。そもそも私たちは裸で生まれ、何も持たずにこの地上を去ります。全てのものは神から管理を任された預かりものです。地上のお金は天国に持っていくことは出来ませんが、地上のお金の使い方次第では、永遠の住まいに生きることになる、と聖書は教えているのです。
天国は永遠の住まいであり、地上は一時的な住まいです。どちらが大切なのでしょうか。もちろん永遠の住まいに決まっています。しかし、地上の、たかが数十年のためだけのプランを立てて、永遠の住まいのための準備が何もできていなかったということになれば大変です。地上と天国の間は行き来はできないので、取り返しのつかない失敗、悔やむにも悔やみきれないことになるでしょう。
この年、永遠のためのライフプランについて聖書から学んでみてはいかがでしょうか。