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「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。
日本の刑法第199条(殺人)には、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」と記されています。よく指摘されることですが、刑法には聖書とは違って人を殺してはいけないとは書いてありません。もちろん、間接的にはそれを戒めているとは言えますが、飽くまでも量刑について論じる刑法なのであって、戒めそのものではないと言えます。(戒めたところで、罰をしっかり決めておかなければ、それは意味がないという視点から、戒めより実効性は高いと言う指摘もあるでしょうが。)
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しかし、人を殺してはいけないと直接教えられないことが、どういう結果を生み出してくるのかということを想像しておくことは重要だと思います。かたや人殺しを楽しむ戦闘ゲームに子守をされて大きくなる子どもがいます。もちろん、そんなに簡単に人を殺すことはないでしょう。かたや、人を殺してはいけませんと小さい頃から教えられて育つ子どもがいます。そんな中でも人を殺してしまう人も出るかもしれません。もちろん、ことはそう単純なことではありません。が、しかしです。
また聖書は冒頭の御言葉のように人を殺してはいけないというだけではなく、人を愛することの大切さと絡めてそれを論じています。聖書を学ぷことで、確かに人の道について思いをめぐらせることがてきるようになるのです。
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姦淫するな、というような教えは最近ではあまり意味すらないように思われるかもしれませんが、結婚を尊ぷ生き方を運んだ人が不幸になったという話は聞いたことがあリません。聖書には確かに人を幸せに導く道が記されています。もちろん、そんな良い教えも実行されなければ意味はありません。聖書はその実行力についても述べています。人は単に「教えられた」だけでは幸せになることができず、自分の中にある「罪」に気がつき、それを認め、主イエス・キリストに表された神様との和解を受け入れなければ、正しく生きる実行カがないというのです。「私も一歩間違えば、人を殺してしまうような人間だ。」という自覚を持って神様の助けを求めて生きようという謙虚な心を持つことが幸せへの第一歩となると聖書は導いているのです。あなたも自分の生き方をもう一度見つめてみませんか。
牧師/神戸 博央
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