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2019年5月(May) 

「聖書の教える正しさとは。」 

 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
 ルカの福音書18:9~14

 頭も良いし、勉強もできるのだけど、なんかこの人と話していると嫌な感じがするな~、と思ったようなことはありませんか。結構日常の生活の中でも起こりうる一コマだと思います。以前にはマウンティングという言葉が流行りました。SNSなどで自分の生活ぶりを紹介する時に、さりげなく自慢を入れてしまうというようなことで、知らない間に自分もその小競り合いに参加してしまっているというようなことがあるようです。
 また逆にそういう現象を客観的に見て、こういうマウンティングは恥ずかしい~、と批判する風潮もありました。
つい自慢をしてしまう人は、あまり意識していなくてしているということが実際は多いようです。意外にセルフイメージが低くて自分がなしてきたことで認めてもらいたいという気持ちが強くて、結果として色々と並べ立ててしまうのです。

 聖書の御言葉にも自分の正しさを確信し、人と比べることで自分の存在意義を保っているようなパリサイ人が紹介されました。と言っても、これはイエス様の喩え話であり、分かりやすいように話された内容です。このパリサイ人の行いはいわば非の打ちどころのない宗教的には優れたものでした。普通はこうした生き方をしている人は良い人です。しかし、イエス様はもう一人の取税人を紹介し、目を天に向けようともしないで、胸を打ちたたいて「罪人の私をあわれんでください。」と祈った人の方が義と認められるのだと話されたのです。
これは、初めて聞いた人にはかなり衝撃があったと思います。なぜなら、だれもが陥りやすい罠について話されたからです。

 この話を聞いて、パリサイ人はひどい人だと思ってしまうかもしれませんが、イエス様の意図は、私たちの内にある、こうした、人を知らない間に見下してしまっている心に気が付いてほしいというものであったと思われます。

 マウンティングする人を見て、私は、あんな風に自慢はしない、と思っているとしたら、ひょっとしたらパリサイ人と同じになってしまっているというわけです。

 どこまで行っても自分という存在は罪深いな~と思いますよね。でも、それでいいんですよ、というのがイエス様の教えです。私たちはみな取税人でもあるわけですから。
 逆説的な言い方ですが、イエス様は私たちの自慢話にも付き合ってくださるお方です。「私にはいいけど、他の人にはしない方がいいよ。」
皆さんの祝福をお祈りしています。

主任牧師 神戸 博央