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2017年12月(Dec) 「イエスの母マリアに学ぶ」 

 イエスの母マリアの「受胎告知」の場面は、多くの絵画のモチーフとされ、クリスマス降誕劇には必ず登場する有名なエピソードです。ところが「処女受胎」は聖書の中で最も信じがたい出来事でもあります。それは人間の理性をはるかに超えているからです。しかし信じるのに最も困難を覚えたのは、マリア当人ではなかったでしょうか。ヨセフの婚約者として結婚に備えていたマリアは、ある日突然、御使いガブリエルから受胎告知をされました。

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。(略) 神にとって不可能なことは何もありません。」(ルカの福音書1章35,37節)

 神が人としてこの地に生まれるとは前代未聞のことであり、それとともに婚約中に身ごもることは、当時の社会状況では非常な困難と犠牲を覚悟しなければなりませんでした。にもかかわらず、マリアはイエス・キリストの母として選ばれました。それは歴史上一度限りの奇跡を受け入れることができると神に認められたからなのです。マリアはこう答えました。

 「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(同1章38節)
 
 人は誰でも今まで経験したことのないことに遭遇した時、不安になり恐れてしまう弱い者です。そして心の中は思い煩いでいっぱいになってしまいます。というのは常識は大切ですが、それが全てとなって、それ以外はありえないという枠組み、そしてそこから出られないことが不安、恐れそして思い煩いの原因となっているからです。マリアはへりくだった人でしたので、謙虚になって神の言葉を素直にそのまま受け入れました。神はそのような人に、何があっても生き抜くことができる勇気と決断、揺るがない平安と希望を与えられるのです。
 受胎告知を受け入れたマリアについて、自分には何の関係もないこととして済ませてしまってよいのでしょうか。むしろ、処女受胎ではなくてもマリアの謙虚さと素直さは、私たちが自分の身に起こる神の不思議なみわざに目を開くよう招いてはいないでしょうか。

牧師 古森 薫