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2017年3月(Mar) 「全てを益とされる神」 

 あわただしい年度末になりました。卒業、入学、就職もしくは転勤や引越などを控えて、期待と不安、緊張が入り混じった方々もおられるでしょう。新しい出発にあたって、人はとかく、物事が自分の願っていたとおりにいくことだけを期待するものですが、しばしば、思い描いていたとおりにはならず、不本意な方向に向かうことも現実です。聖書は、私たちが人生を歩む上で、自分の人生を治めている神に全てをゆだねることが知恵であることを証ししているように思います。
 その一つの例として、旧約聖書の創世記に登場するヨセフを挙げることができます(創世記 37–50章)。ヨセフほど不本意な人生を歩んだ人はいません。父ヤコブのヨセフへの偏愛のゆえに、ヨセフの兄たちはヨセフを妬み、彼を穴に落として隊商に売り飛ばしました。そこからヨセフの人生は意外な方向へと展開していきます。ヨセフは最終的に異国のエジプトに奴隷として売られ、明日の命もどうなるかわからないという人生のどん底を経験しました。深い心の傷を受けたに違いありません。しかし神は苦しみと悲しみの極みの中にあるヨセフとともにおられ、ヨセフが何をしても成功するようにさせてくださいました。ヨセフは神から与えられた能力によって、これから起こる豊作と飢饉を予見し、エジプトの王に次ぐ宰相まで上り詰めたのです。やがて年月が経ち大飢饉が世界を襲いましたが、エジプトにはヨセフの賢明な策により、豊作時に備蓄した食糧がありました。
 そのことを聞き及び、ヨセフの兄たちは食糧を求めてエジプトにやってきたのです。もちろんヨセフが生き延びて、エジプトの宰相になっていることなど全く知りません。聖書は実に人の心を正確に記した書物です。骨肉を分けた兄たちを罰することも赦すこともできないヨセフの心の葛藤は、涙なくして読むことはできません。兄たちは、後で他でもない弟ヨセフと知ることになる、ひとりの宰相の不可解な言動をとおして、真の悔い改めへと導かれていきました。特に兄のひとりユダにいたっては、自分が犠牲となってエジプトの奴隷になると申し出るほどに改心したのです。その後、ヨセフは涙ながらに自らの身分を明かし、こうしてイスラエル一族をエジプトに呼び寄せて飢饉から救い出したのです。
 ヨセフ物語の最後で、ヨセフは自らの苦難の人生を振り返り、兄たちに語っています。『あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。』(創世記50章20節)

 神はあなたの苦しみと悲しみを知っておられ、全てのことを益に変えて下さるお方です。それは、聖書を通して神と出会い、神と共に歩む人生に約束されている祝福なのです。

 牧師 古森薫