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2019年12月(Dec) 

「愛を覚えるクリスマス」 

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 Iヨハネ4:10

 ネット社会という言葉が言われるようになって久しいですが、時に人間の心の悲しい部分がクローズアップさせられる場合があります。普段は何気ない生活を営んでいる人が、ネット上では人を誹謗中傷したり、自己中心的な正義感で無関係の人を裁いたり、勝手な思い込みや偏見で、人を言葉で傷つけたりするのです。やってもいない放火をほのめかす動画をアップロードするなどといった「炎上商法」なる非道も広く知られるところとなりました。

 こうしたことが指摘される時によく言われるのが、「普通はおとなしい人なのに…」という言葉です。しかし、人間の本性の一部には、聖書が言う所の「罪」と呼ばれる暗闇があるというのを私たちは知っています。

 こうした人間の罪は、大きくならないうちは見過ごされ、無視され、あまり考えたくないものとして蓋をされる傾向にありますし、自分でも認めたくないと感じることと思います。しかし、真の神なるお方がおられるならそれを放置しておくことはあり得ないでしょう。それを放っておくと人間は不幸になるということは自明のことだからです。

 クリスマスは世界で祝われ、尊ばれているシーズンですが、その底流には、この私たちの罪のためにキリストが、なだめのささげ物として遣わされたという意味があります。「罪」はそれがまるでないかのように無視しようとする時に、肥大化し、人を傷つける暴力となります。しかし、それに気づき、認め、神様の赦しと癒しを求める時に、キリストの贖い、すなわち身代わりの故に、本当に赦され、回復が与えられると約束されています。

 義なる神様が独り子のキリストを罪の代価として十字架につけることで、その罪がどんなに重たいものであるかが人類に啓示されました。罪は意識しようとしまいとやはり現実なのです。しかし、その十字架の故に、神が人の罪を赦すという道を開いたとも言われているのです。その神様の動機は、冒頭の聖書の言葉にあるように愛です。

 罪は処理されなければならない、しかし、人を愛する愛が本物であったがゆえに、この十字架という「贖い」の業が人類に紹介されたのです。

 罪は一度犯すとその人のセルフイメージも傷つけ、どうせ真面目に生きたって意味ない、という思いを起こさせるものです。しかし、もしあなたの罪が全くなかったものとして認めてもらえることが可能であるとしたら、どうでしょう。人生を積極的、肯定的にやり直すことができるのではないでしょうか。クリスマスのメッセージとは、そういう回復があるというメッセージなのです。

 あなたが今まで神を知らなかったとしても、それは関係ありません。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちをまず愛してくださったと聖書が教えてくれています。なだめのささげ物として来てくださったキリストを覚える時といたしましょう。

主任牧師 神戸 博央